1.プロテオミクスの歴史

プロテオミクス(Proteomics、タンパク質の網羅解析)は、生体内の全タンパク質(プロテオーム)を対象にした研究分野です。1975年には、タンパク質を網羅的に解析する手法として2次元電気泳動(タンパク質を等電点と分子量で分離する技術)が確立され、マウスや大腸菌などのタンパク質マップ作成に初めて成功しました。その後、1990年代後半まではタンパク質解析は主にこの2次元電気泳動が主に利用されました。

プロテオミクスという用語自体が初めて登場したのは1994年のことです。オーストラリアの研究者マーク・ウィルキンス(Marc Wilkins)氏が、イタリアで開催されたタンパク質解析に関する会議で、「プロテオーム (proteome)」という言葉を提唱しました。彼は「プロテオーム」を「ゲノム(全遺伝情報)に対する全タンパク質情報」と定義し、この概念からプロテオミクスという新分野が生まれました。その翌年1995年には、ウィルキンス氏の論文で「プロテオーム」という語が正式に学術誌に掲載され、プロテオミクス研究が本格化していきます。

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、プロテオミクス研究は急速に拡大しました。背景には、質量分析法(Mass Spectrometry: MS)の飛躍的進歩があります。例えば2002年には、MALDI法やESI法といったタンパク質のイオン化技術の開発者たちにノーベル化学賞が授与され、これらの技術がプロテオミクスに革新をもたらしました。また2001年には国際的なプロテオミクス研究組織であるHUPO(Human Proteome Organization、国際ヒトプロテオーム機構)が設立され、世界規模でヒトの全タンパク質を解明する「ヒトプロテオーム計画(HPP)」も始動しました。2000年代にはプロテオミクス専門の学術誌の創刊も相次ぎ、研究者コミュニティが形成されました。 近年では、プロテオミクスはゲノムやトランスクリプトーム(転写産物全体)の次なるフロンティアとして位置づけられています。2010年代以降、高感度な高速質量分析計によってヒトを含む様々な生物種のプロテオームが解明されつつあり、2020年にはヒトタンパク質の90%以上を網羅的に同定したとの報告もなされています。さらに、2020年代には1細胞レベルでタンパク質を測定するシングルセル・プロテオミクスや、機械学習を用いたプロテオームデータ解析など、新たな展開も見られます。プロテオミクスは歴史的に見てもゲノム研究と歩調を合わせて発展してきており、現在も医療・生命科学の重要な基盤技術として進化を続けています。

2.トランスクリプトミクス、メタボロミクスにはないプロテオミクスの特徴

プロテオミクス固有の強みとして、まず挙げられるのがタンパク質の翻訳後修飾(ポストトランスレーショナル修飾)を直接検出できる点です。タンパク質はリン酸化やグリコシル化など様々な化学修飾を受けることで機能が調節されますが、これは遺伝子発現の情報(mRNAの量)だけでは把握できません。プロテオミクスでは質量分析などを用いてタンパク質の修飾状態を解析できるため、酵素が活性化しているか、シグナル伝達経路がオンになっているかなど機能的な活性を直接評価できます。これは転写産物を解析するトランスクリプトミクス(RNAシーケンス等)では得られない、プロテオミクスならではの利点です。

またタンパク質は、細胞内で実際に働く「機能分子」であるという点も重要です。DNA上の遺伝情報からmRNAが作られても、最終的に機能を担うのはタンパク質です。プロテイン(タンパク質)は酵素として化学反応を触媒し、構造タンパク質として細胞や組織を構築し、受容体や抗体としてシグナル伝達や免疫に関与します。言わばタンパク質は細胞の「働き手」であり、生体内の現象を直接担っています。そのためプロテオミクスによって得られる情報は、生物の表現型(実際の機能発現状態)に直結しやすいという特徴があります。例えば、遺伝子やmRNAの情報だけでは推測に留まっていた疾患の状態も、プロテオミクス解析により実際に変動しているタンパク質群を捉えることで、疾患メカニズムやバイオマーカーの発見に直結します。

また、プロテオミクスでは一つの遺伝子から多様なタンパク質が生まれる現象を捉えられる点も特徴です。例えば可変的スプライシング(選択的スプライシング)やタンパク質の分解・加工によって、単一の遺伝子から複数のアイソフォーム(Proteoform)が産生されます。プロテオミクス解析では、それぞれのアイソフォームごとの存在量や修飾状態まで評価できる場合があり、ゲノミクスやトランスクリプトミクスでは見逃される生命現象を明らかにすることができます。このようにプロテオミクスは遺伝子発現の結果得られる「生体内の実働部隊」を直接網羅的に捉える解析であり、他のオミクス(ゲノム・転写物・代謝物解析)にはないユニークな視点と情報を提供します。

3.プロテオミクスの種類とそれぞれの特徴

プロテオミクス研究には様々な手法がありますが、主に以下のようなアプローチの種類に大別できます。それぞれ長所と短所があり、研究目的に応じて使い分けられています。

  • 質量分析プロテオミクス(MSプロテオミクス):
    質量分析計を用いてタンパク質を網羅的に同定・定量する手法です。一般的には試料中のタンパク質を酵素でペプチド断片に消化し、そのペプチド混合物を液体クロマトグラフィー-タンデム質量分析(LC-MS/MS)で分析します。MSベースの方法の利点は網羅性が高く、未知のタンパク質や予測外の翻訳後修飾も発見できる点です。質量分析の分解能と感度の向上により、1つの実験で数千種のタンパク質を同定することも可能です。また、質量分析データからアミノ酸配列や修飾部位の推定ができるため、タンパク質の構造や修飾について詳細な情報が得られます。一方で専門的な装置と高度な分析スキルが必要であり、装置の高額さやデータ解析の複雑さが短所です。また、低濃度のタンパク質や膜タンパク質の検出には工夫が必要になることがあります。
  • 抗体ベースのプロテオミクス(Olink@など):
    タンパク質に対する抗体を利用して検出・定量するアプローチです。代表的なものに抗体マイクロアレイ(数百~数千種の抗体をガラス板上に固定し、一度に多数のタンパク質を測定)や、近年普及しているOlink®プロテオミクス(抗体にオリゴヌクレオチドタグを付加し、タンパク質に結合した抗体ペアの近接をPCR増幅で定量する技術)などがあります。抗体ベース手法の利点は、検出感度が高く手技が比較的簡便な点です。特に血液や組織抽出液といった複雑な試料でも、抗体の高い特異性により目的タンパク質を選択的に検出できます。複数試料を並行処理できるため臨床検体の大規模スクリーニングにも向いています。ただし短所として、事前に標的とするタンパク質が決まっている(未知のタンパク質は測定できない)ことや、高品質な抗体試薬の入手に制約があることが挙げられます。また抗体同士の交差反応や非特異的な結合によるノイズの問題もあり、データの再現性確保には注意が必要です。
  • アプタマー(DNAアプタマー)ベースのプロテオミクス:
    アプタマーとは、特定の分子に結合できるよう選択された一本鎖DNAもしくはRNAの分子です。SomaLogic社のSomaScan®プラットフォームは、このアプタマー技術を利用した先進的なプロテオミクス手法です。抗体の代わりに化学合成したDNAアプタマー(SOMAmer®試薬と呼ばれる)をタンパク質の検出に使い、アプタマーが標的タンパク質と結合した量をDNAとして定量します。アプタマー法の最大の利点は、測定できるタンパク質の種類が非常に多い点です。SomaScan®では現在7,000種類以上のタンパク質を一度に測定可能であり、しかも必要試料量は血液数マイクロリットル程度と微量です。加えて、アプタマーは化学的に安定で再現性が高く、ロット間変動が小さいためデータの信頼性が高いとされています。抗体とは異なり生物由来ではないため、製造ロットによるばらつきや劣化が起こりにくい点も強みです。一方、短所としては測定対象があらかじめ対応するアプタマーが設計されたタンパク質に限られること、専用設備やライセンスが必要で一般のラボでは簡単に導入できないことなどが挙げられます。しかし最近ではSomaScanはサービスとして提供される例も増えており、研究者は試料を送るだけで結果を得ることも可能になりつつあります。

以上のように、質量分析、抗体、アプタマーという異なるアプローチにはそれぞれ網羅性特異性検出感度扱いやすさなどの観点で一長一短があります。例えば探索研究の初期段階では網羅性の高いMSを用い、候補が絞られたら抗体またはアプタマーで多数症例を一度に測定するといった組み合わせ利用も一般的です。それぞれの手法の特徴を理解し、研究目的に適したプロテオミクス手法を選択することが重要です。

4.SomaScan®は他のプロテオミクス技術に比べて何が優れるか

SomaScan®(ソマスキャン)は上述のアプタマー方式を採用したプロテオミクス技術ですが、特に血液中のバイオマーカー探索に威力を発揮する点で注目されています。他のプロテオミクス技術に比べたSomaScanの優れた点を整理すると次のようになります。

  • 極めて高いマルチプレックス性能: SomaScan®は1回の測定で数千から1万種類のタンパク質を同時定量できます。最新バージョンでは11,000を超えるターゲットタンパク質を網羅しており、従来の抗体パネルや質量分析ではカバーしきれなかった広範なプロテオームを一度に測ることが可能です。これにより網羅的なバイオマーカー探索が飛躍的に効率化されます。
  • 微量試料で高感度検出: SomaScan®ではわずかな血液(血漿・血清)サンプルから低濃度のタンパク質も検出できます。アプタマーの高い親和性と増幅測定技術により、従来は検出困難だった微量タンパク質も捕捉可能です。「従来の手法では特異的なバイオマーカーの同定は困難だったが、この新技術により高・低濃度のタンパク質まで広いダイナミックレンジで検出できるようになった」との報告もあります。実際、ある研究ではSomaScan®により血液中のわずかな循環タンパク質の変化を捉え、疾患初期段階の分子変化の検出に成功しています。
  • データの再現性と信頼性: アプタマー試薬は化学合成であるため、抗体に比べてロット間の変動が少なく安定性に優れます。また同一試料を複数回測定した際のばらつき(CV値)が小さいことも報告されています。SomaScanは高い再現性・信頼性を持つデータを提供できるため、発見されたバイオマーカー候補の追試や別コホートでの検証にも有用です。研究から臨床応用(診断薬や治療効果モニタリング)への橋渡しの段階でも、この信頼性の高さが強みとなります。
  • ハイスループットでコホート研究に適合: SomaScan®は専用施設で一度に多数の検体を処理できる設計になっており、数百~数千人規模のコホート試料を用いたスタディにも向いています。実際、米国の大規模疫学研究(ナースヘルススタディや医療従事者追跡研究)では、バイオバンクに保存された数百人分の血液試料をSomaScan®で解析し、長年追跡後に疾患を発症した群と発症しなかった群のタンパク質プロファイルを比較するといった解析が行われています。このようにハイスループット解析によって、将来的な疾患リスクを示すタンパク質パターンの発見など、予測医学的なバイオマーカー探索にも寄与しています。

以上の特長により、SomaScan®は「血液を用いた網羅的バイオマーカー探索」に非常に適したプラットフォームとして周知されるようになりました。具体的な研究成果の例として、肝臓がんの早期発見バイオマーカー研究が挙げられます。ハーバード大学やブリガム&ウィメンズ病院の研究チームは、長期間保存された前向きコホートの血漿試料をSomaScan®で網羅解析し、その後12年以内に肝臓がん(HCC)を発症した人たちに特徴的なタンパク質群を同定しました。その結果、健常対照群に比べて発症群で有意に高値を示す56種類のタンパク質が明らかになり、その中から4種類のタンパク質を組み合わせたモデルを構築したところ、従来の危険因子(肝炎ウイルス感染や肝硬変の有無など)よりも高い精度で将来の肝臓がんリスクを予測できることが示されました。さらに興味深いことに、この発見されたタンパク質群には肝がんの新たな発症メカニズムにつながる分子経路も含まれており、創薬標的の候補となり得ることも示唆されています。研究チームは別の大規模データセット(イギリスのバイオバンク由来プロテオミクスデータ)でもモデルの有用性を検証し、結果を再現しています。

他にもSomaScan®を用いた成果として、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の重症度評価に有用なタンパク質パネル(37種のタンパク質からなるスコア)を開発し、肝生検の代替となる非侵襲的診断法の可能性を示した研究も報告されています。このようにSomaScanは、血液中のプロテオーム情報から疾患の予測や分類を行う新しい医療ツールの開発に大きく貢献しています。

総括すると、SomaScan®はプロテオミクス技術の中でも突出して網羅的かつ高感度なプラットフォームであり、大規模コホートから新規バイオマーカーを発見する用途に優れています。他の技術と比べて「測れるタンパク質の数が桁違いに多い」「低濃度の分子まで拾える」「データの再現性が高い」という利点により、特に血液検体を用いた疾患バイオマーカー探索で真価を発揮しています。今後もSomaScan®を含むアプタマーベース技術の発展によって、これまで知られていなかった疾患の予兆や治療標的が次々と明らかにされることが期待されています。

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